神聖な光の中に生きる

わたしは、コロナの影響で集会所に行けなくなってから召会生活を離れており、コロナ禍での社会生活が安定してからも召会生活に戻れないまま、大学院での研究とアルバイトに没頭する生活が数年続きました。主日を潰してまでアルバイトをしても、得たお金は学費や研究活動に消えていき、その研究においても目立った成果を残せずにいることに、徐々に虚しさを感じるようになりました。また、自分は虚しいことのために何年も主を蔑ろ(ないがしろ)にしてきたのかもしれない、という感覚が起こり始め、予定が合う時に主日の集会に参加して、少しずつ召会生活に戻り始めました。...

【務め】わたしの生活は務めと一である

神の働きの中心は、キリストのからだを建造し、神の新約のエコノミーを完成することです。これこそが、この時代における唯一の務めです。 第二コリント4:1は言います、 こういうわけで、わたしたちはあわれみを得て、この務めを受けたのです、落胆しません。Ⅱコリント 4:1...

【命】彼は必ず増し加わるが、わたしは必ず減少する。

わたしが来たのは、羊が命を得、しかも豊かに得るためである。ヨハネ 10:10 神の心には一つ願いがあります、それは人が命を得て、また命が成長させ、円熟に至り、花嫁の一部分となることです。命の成長は能力や知識を増やすことではなく、また奉仕が熱心になることでもありません。命の成長はわたしたちの天然の命が減少し、神の永遠の命が増し加わることです。...

【志】放蕩娘だったわたしが主に仕える「志」を持つ

わたしは主を獲得しようと日々主を追い求めていますが、それはまず主がわたしを捕らえてくださったからです。 わたしは、すでに得たとか、すでに完成されているとか言うのではありません.わたしは、それを捕らえようと追い求めているのですが、それはわたしが、キリスト・イエスによって捕らえられているからです。ピリピ 3:12...