【志】放蕩娘だったわたしが主に仕える「志」を持つ

わたしは主を獲得しようと日々主を追い求めていますが、それはまず主がわたしを捕らえてくださったからです。 わたしは、すでに得たとか、すでに完成されているとか言うのではありません.わたしは、それを捕らえようと追い求めているのですが、それはわたしが、キリスト・イエスによって捕らえられているからです。ピリピ 3:12...

【務め】わたしの生活は務めと一である

神の働きの中心は、キリストのからだを建造し、神の新約のエコノミーを完成することです。これこそが、この時代における唯一の務めです。 第二コリント4:1は言います、 こういうわけで、わたしたちはあわれみを得て、この務めを受けたのです、落胆しません。Ⅱコリント 4:1...

【命】彼は必ず増し加わるが、わたしは必ず減少する。

わたしが来たのは、羊が命を得、しかも豊かに得るためである。ヨハネ 10:10 神の心には一つ願いがあります、それは人が命を得て、また命が成長させ、円熟に至り、花嫁の一部分となることです。命の成長は能力や知識を増やすことではなく、また奉仕が熱心になることでもありません。命の成長はわたしたちの天然の命が減少し、神の永遠の命が増し加わることです。...

【志】小組を建ち上げ、責任感が生まれた

前期まで共に歩んできた小組が一旦解消され、今期からは自分たち自身で新たな小組を立ち上げることとなりました。これまでは先輩の兄弟姉妹に導かれながら、比較的受け身の姿勢で小組集会に加わっていましたが、今期は祈りと交わりを通して自分たちが小組を担う側となり、主のからだの中での自分の役割や責任をより強く意識させられるようになりました。...

【命】天然の熱心さが対処される

今学期の訓練を通して、わたしは自分の内にある天然の熱心さが主によって照らされ、取り扱われ、命において造り変えられるという貴重な経験をしました。 訓練が始まった当初、わたしの内側には訓練に対する強い熱意があり、それによってクラスにおいても福音においても、あらゆることにおいて前進したいという熱い思いがありました。しかし、団体生活の中でその熱意にしたがって行動すると、他の肢体と調和を取ることが困難であることに気づきました。...