詩歌468 わたしは、もし少しでも正しい道からそれるなら
歌詞
1. 主のみちそれれば、
自己らくするが、
されどわれは主の
忠じつさをおもう。
5. 日々座をあおぎ、
われはもとめる、
生かつ、はたらきが、
かの日耐えること。
7. されど、われねがう、
孤どく、貧こんを;
最後まで忠じつに
したがい行かせよ。
8. 主、得たのは死のみ、
われも主により、
うしなわるをねがう、
ほかにのぞみなし。
9. わが栄光はかの日、
いまはにんたい;
主よりもさきには
地のさちもとめず。
10. かの日かんむり受け、
なみだぬぐわる!
ちゅう信もてすすむ、
「主よ、とく来ませや」。
全訳
1. わたしは、もし少しでも正しい道からそれるなら、直ちに楽になります。
しかし、わたしの主キリストが
何と忠信に苦難を受けられたかを記念します。
5. わたしは今、毎日、裁きの座の前の光を仰ぎ見ます。
わたしのすべての生活、働きが、かの日、火に耐えられますように。
7. しかし、わたしはただ孤独と貧困を願います。
ここでは順調を追い求めません。
わたしの心は、わたしの主に最後まで忠信に従うことを切望します。
8. なぜなら、主はこの世におられた時、
得たのはただ死だけであったことを、わたしは知っているからです。
ですから、今わたしには他の望みはなく、ただ彼のゆえに失われることを望みます。
9. わたしの栄光は将来にあります。今日はただ忍耐するのみです。
わたしは決して、わたしの主より前に
この世で祝福を得ることをしません。
10. かの日わたしは冠を得て、主はわたしの涙をぬぐってくださいます!
今日、主がなおも遅らせられたので、わたしは忠信に前進します。
詩歌468
啓示録20章11節前半
「またわたしは、大いなる白い御座と、そこに座しておられる方を見た.
目的もなく何となく時間を過ごしたり、ルーティンのように集会や奉仕を行ったりしている自分に気づく時、いつもこの詩歌が私の中で流れます。もし少しでも主の道からそれるなら、私たちは楽になるかもしれません。日々の忙しさや疲れの中で、道から外れて休みたくなる時もあります。
しかし、この詩歌の5節「日々御座をあおぎ、われはもとめる、生活、はたらきが、かの日耐えること。」を思い出す度、私は主へと引き戻されます。かの日、私たちは必ず裁きのための白い御座に出る必要があります。私たち自身の中には、主の道をとる力はないかもしれません。しかし、忠心に主の道を取り続けた方であるキリストが、今わたしたちの内側に生きておられることを感謝します。主により頼み、キリストを生きることによって主の道を日々歩みたいと願います。私たちの生活、働きがかの日の裁きの御座に耐えうるものとなりますように。そして、冠を得るものとなることができますように。