言葉の務めの前には、まず祈りがあるべきであることを深く学びました。預言原稿や展覧集会の準備では、多くの真理を学び、御言葉を整理しましたが、それだけでは人に命を供給することはできないことを何度も経験しました。

コロサイ3章16節には、「知恵を尽くして、キリストの言をあなたがたの内に豊かに住まわせ」とあります。祈りの中で主に触れ、自分自身が御言葉によって照らされ、キリストの言が内に豊かに住まう時、初めてキリストの豊富が私の内側に働き、人を養う言葉として流れ出ることを経験しました。

特に関西でのブレンディング訪問では、自分の準備を超えて、祈りを通して主がその場に必要な言葉を備えてくださることを実感しました。人に命を供給する務めは、自分の知識や能力ではなく、祈りによって主から構成されることによって成し遂げられることを学びました。今後も祈りと言葉の務めを堅く持ち続け、神のエコノミーのために命を供給する恵みの執事職を学び続けていきたいと願っています。

また、訓練に入り、「志」が更新されました。

訓練に入る前の私は、召会生活の中で育ってきたこともあり、奉仕はある程度できると思っていました。自分に何ができるか、自分の熱心や能力によって主に仕えようとしていたのです。

しかし訓練生活の中で、特に福音や牧養において、自分の思いどおりにならない環境や、自分がいかに無力であるかを何度も経験しました。例えば、福音を語れば人は救われると思い、自信を持って接触していましたが、全く心を開いてもらえず、連絡も途絶えてしまったことがありました。その時は失敗したと落ち込みました。しかし主のもとに戻り、主に養われることによって再び生かされ、継続して福音に出て行く中で、人を得ることができました。

また、牧養においても学びの経験がありました。ある新人との小組の実行で、私は何とか助けたいと思い、多くのことを語りました。しかし、相手の反応はあまり良くなく、自分の言葉や熱心では人を養うことはできないことを感じました。その後、主の前で祈り、継続してとりなし祈り、主を享受しました。すると、その新人は少しずつ集会に来るようになり、主を求めるようになりました。

振り返ると、これらの過程は、主が私を自分に頼る者ではなく、主に頼る者へと導いてくださる過程でした。つまずくことも多くありましたが、主は良い牧者として私を顧み、牧養してくださいました。そして主の豊かな牧養によって、私の中にも他の羊を顧みる福音と牧養の負担が与えられました。

最終的に、わたしの中に一つの志が与えられました。それは、大きな働きをすることではなく、神にしたがって神の羊の群れを牧養する者になることです。第1ペテロ5:2「あなたがたの間の神の群れを牧養しなさい。強いられてではなく、自ら進んで、神にしたがって監督しなさい」。ペテロも、自分の熱心で主に従おうとして失敗しましたが、最終的には自分の力ではなく主の恵みによって羊の群れを顧みる者となりました。

わたしも奉仕者として神に仕えることを心に決めました。全時間奉仕をします!そして、神を生き、神ご自身を人に供給し、キリストのからだの建造のために、天の務めと協力する者となりますように。

21期生 T兄弟