「キリストを命として経験する」クラスで、人の三部分霊・魂・体の各機能について学びました。その中で思いを対処する項目に、「神の事柄が感じられるのは、わたしたちの霊の中の直覚の機能によりますが、それらが理解されるのは、わたしたちの知性(思い)の中の理解力の機能による」ことが書かれていました。

わたしはこのことを知識として理解はしたものの、実際に、霊で主から直覚があった時にそれを理解することができず、またうまく言語化できませんでした。わたしは、主に必死で尋ね求めました。「主よ、霊で啓示されていることをわたしはなぜ実際に理解することができないのでしょうか。どのようにしたら言語化することができるのでしょうか。」主はわたしにコロサイ人への手紙第2章2節を通して、実際へと導いてくださいました。

それは、彼らの心が慰められ、彼らが愛の中で結び合わされ、理解力から来る全き確信のあらゆる豊富へと至るため、すなわち、神の奥義なるキリストを知る全き知識へと至るためです。コロサイ 2:2

この御言のフットノートには、わたしたちの思いを正しく機能させなければ、神の奥義なるキリストを知ることができないと書かれていました。わたしがいくら霊で啓示してくださるよう主に求めていても、わたしの思いが覆われ自分の観念で満ちていたので、神の奥義であるキリストを知る全き知識へと至りませんでした。霊を活用するだけではなく、思いを霊につけ、思いを正しく機能させてこそ、神の奥義であるキリストを知る知識が与えられることが語られました。

その後、1日の始まりやクラスを受ける前に、「思いを霊につけます。霊で啓示されていることを思いで理解させてください。」と祈ることで、以前と比べて、主が授業で何を語りたいか、朝ごとを通して何を見せたいか何をわたしに託したいかを理解できるようになりました。

さらに、思いを正しく機能させる個人の経験だけでなく、コロサイ人への手紙第2章2節がからだの面も含んでいることも言葉を通して開かれました。わたしたちが肢体の中で互いに心を慰め合い、愛の中で結び合わされることによって、主が見せたい、神の奥義であるキリストとキリストの奥義である召会、召会の奥義であるキリストの団体的な表現・拡大を見ることができます!

クラスで学んだ知識が、祈りと主との交わりによって、コロサイ人への手紙第2章2節を通して、実際へと導かれ、真理として経験できたことを主に感謝します。

20期生 E姉妹