訓練の由来

1984年、ウイットネス・リー兄弟は、聖書の啓示による「神の定められた道」のビジョンと青写真を携えて台湾に戻り、キリストのからだを有機的に建造することを目指しました。これは新しい道であって、実行においてギデオンの300人の戦士のように、自分自身を明け渡してこの栄光の行列に入り込む一群れの人々を必要としています。

その結果、1986年から台北で「聖書の真理と召会の奉仕」の全時間訓練が開始されました。この訓練は2年間を1つの完全な訓練単位とし、半年ごとに募集しています。1989年までの間に、全世界の諸召会から主を愛する若い聖徒たちを対象に6期の訓練が行われ、厳格な訓練を通じて「神の定められた道」を実行するための堅固な土台が築かれました。

東京全時間訓練は、わたしたちの愛する吉田栄作兄弟が、長年にわたって負担を持ってきたことです。その前提として訓練センターの建設があり、それは2001年9月に完成しました。そして少数の兄弟たちと交わった結果、2005年4月から訓練を開始し、訓練のカリキュラムはすべて、アナハイムの全時間訓練にしたがうことを決定しました。

その年の2月に九段会館にて、東京全時間訓練の召しの集会を持ち、その時、五十数名の兄弟姉妹が訓練の参加を宣言しました。訓練開始に先立って、3月に二名の兄弟がアナハイムの全時間訓練(FTTA)の短期訓練に参加して、各クラスの担当者、また訓練の事務方の担当者と交わりを持ちました。その交わりにしたがって、今後、どのように訓練を遂行していくかについて、兄弟たちと交わりました。
そして4月に第一期の訓練を開始し、予備訓練に、FTTAの責任者であるデイブ・ヒギンス兄弟に参加していただきました。わたしたちは一つの務めの中でこの訓練を行うので、今後、予備訓練にはアナハイムから奉仕者に来ていただいて、一緒に奉仕することにしました。現在は、交わりの中で台湾からの同労者に来ていただいてます。こうして現在に至っています。

ウイトネス・リー兄弟からの励まし

主の回復の中の一青年として、あなたは訓練されて主に有用になりたいという願いをすでに持っているかもしれません。あなたが今、何歳であろうと、霊的な状態がどうであろうと、これらの言葉を読むことは、あなたの将来設計を考える際に、訓練の目的と価値に印象付けられる助けとなるでしょう。

「大学教育を終了したすぐ後、生活において新しい局面を迎えようとしているすべての若者にとって、主を知り主に奉仕するために訓練される時間を取っておくことは、実に大きな祝福です。わたしは、彼らが訓練を通して養われ装備された後、全時間奉仕をしようと、就職しようと、何の問題もないと思います。なぜなら、彼らは装備された後、主の回復にあって、もはや一般的なクリスチャンではなく、ありふれたクリスチャンでさえないからです。彼らは訓練され、装備されており、主の負担を受けています。これは彼らの全生涯に影響を及ぼすでしょう。

このように装備された後、たとえ訓練生が定職に戻ったとしても、彼らは世間一般の人と同じにならないでしょうし、以前の彼らのようになることはないと思います。むしろ彼らは命と真理で満たされた主の生ける証し人となるでしょう。たとえ彼らが将来何をしていようと、家族を顧みていようと、家事をしていようと、働いていようと、会社を経営していようと、彼らは自然に主の生ける証し人になっているでしょう。……この展望から、全時間訓練の中であなたの人生の最高の時を費やすことは真に価値があります。」

神のエコノミーと神聖な三一の伝達の奥義、第11章

全時間訓練はどういう場所なのか

全時間訓練は、神学校や聖書学校ではなく、青年のクリスチャンたちが来て、キリストを追い求め、正常な方法でキリストを生きることを学ぶ場所です。 「わたしたちの訓練は、学校でもなく、神学校や聖書学校でもなく、職業的な伝道者を生み出すことを目的とするものでもありません。わたしたちの訓練は、主を追い求める青年聖徒たちを助け、キリストの中で成長させ、キリストのからだにおいて正常で生き生きとした、機能する肢体とすることです。その結果、彼らがキリストの有機的なからだの中で建造されるとともに、賜物ある人々のように、直接キリストの有機的なからだを建造することができるようになることを目指しています。」 (1991年2月5日、ウィットネス・リー兄弟が全時間訓練生に宛てた「訓練者と訓練生への手紙」より抜粋)

聖徒たちは成就されて、その務めの働きへと至る必要があります。新約には唯一の務めがあります。それはキリストを人の中へと分与して、からだを建造することです。その務めの働きを遂行するために、聖徒たちは成就される必要があります。キリストのからだの建造は、導く人たちによって直接、成し遂げられるのではありません。建造の直接の働きは、成就された聖徒たちによって遂行されます。

すでに見てきたように、わたしたちは実行上の一に、完全な成長に、からだの完全な建造に到達する必要があります。この三つの事に到達しようとするなら、わたしたちはその務めの働きを行なう必要があります。……その務めの働きは、キリストのからだの建造に等しいのです。わたしたちの間にはただ一つの務めがあるだけです。わたしたちの間の何千という人がその務めの働きにあずかっているとしても、その務めそのものは唯一です。この務めは絶対にキリストのからだの建造のためです。……わたしたちがここにいるのは、単独で前進するためではなく、他の人たちと共に前進するためであり、他の人たちを共に連れて行くためでさえあります。わたしたち自身が前進する時、他の人たちを共に連れて行く必要があります。わたしたちはキリストのために語ることによって、教えることによって、牧養することによって、他の人たちを共に連れて行きます。

わたしはもう一度、すべての召会で、ある種の実行上の訓練の必要があることを指摘したいのです。わたしたちは教え、牧養し、福音を宣べ伝える事柄で訓練される必要があります。この訓練を通して、聖徒たちは、使徒、預言者、伝道者、牧する者また教える者として、どのように機能するかを学ぶでしょう。これらすべての方法で機能する時、わたしたちはキリストのからだを建造するという一つの目標を持ちます。からだの建造のためにその務めの働きにあずかる時、わたしたちは実行上の一に、完全な成長に、キリストのからだの建造の完成に到達します。

わたしたちの唯一の目標がからだの建造であるなら、わたしたちは自然に調整されるでしょう。わたしたちがある特別な働きを遂行する時、この働きはからだの建造のためであるという意識をもって行なうでしょう。以前、わたしたちは、福音を宣べ伝えても、福音の宣べ伝えはからだの建造のためでなければならないことを認識しなかったかもしれません。今やわたしたちは、使徒、預言者、伝道者、牧する者また教える者として行なうことは何であれ、キリストのからだの建造という唯一の目標のためでなければならないことを見ています。その目標を見たなら、わたしたちは負担を持って、人がわたしたちと共に実行上の一に、完全な成長に、からだの完全な建造にまで到達するのを助けるでしょう。わたしたちがこれについて明確であるなら、主は戻って来る道を持たれるでしょう。なぜなら、主は待ち望んでいる花嫁を得る道を持たれるからです。

(エペソ人への手紙ライフスタディ、第41編より抜粋)

聖書はすべて、神の息吹かれたものであり、人を教え、戒め、矯正し、義の中で訓練するのに益があります。それは、神の人があらゆる良いわざのために十分に装備されて、完全な者になるためです。 テモテへの第二の手紙第3章16~17節

訓練の目的

訓練の目標